初めて『エヴァンゲリオン』を近しく感じた【シン・エヴァ】

観てきました。映画シン・エヴァ。

なんといったらいいのか、とにかく観てよかった。
鳥肌が立ったし感動しました。
まさか泣けるとは思わなかったので自分でもびっくりです。

僕は熱心なファンというわけではありません。
ただアニメ版・漫画版ともに観てきて、また序破Qの熱い展開に唸らされた身としては観ないわけにはいかないだろうと。

興奮さめやらぬうちに僕のエヴァ歴を振り返りつつ感想でも書いとくかという記事です。

考察はしませんというかできません。
あの複雑怪奇な設定を丁寧に紐解いていける方というのはほんとにすごいと思う。

映画のネタバレを含みますのでご注意を。
まずはご自身で映画館へ足を運ばれることを強くおすすめします!

エヴァは近寄りがたかった

僕が初めてエヴァに触れたのは小学生のときでした。

TV版の『新世紀エヴァンゲリオン』。
適当にチャンネルを回していたらたまたま再放送していたのですが、その出会いははっきり言って最悪でした。

というのも、目に飛び込んできたのが綾波がエヴァに握りつぶされるという、当時幼かった僕にはあまりに凄惨なシーンだったから。
飛散する血液(LCL?)と頭蓋が転がるシーンは今でも軽いトラウマとして残っています。

たぶん全話再放送だったのかな?怖いもの見たさで見続けて、結局最終話まで見届けました。
当然子どもの僕には「えっこれで終わりかよ」と納得がいかないわけです。

何が「おめでとう」なんだよと。
途中で終わらすんじゃねーよと。
すごく後味が悪かった。

好きになれたのはエンディングの曲だけでした。Fly me to the moon。

こうして「エヴァとはスタリッシュな大きいロボット兵器とピチピチのスーツ着たお姉さんが出てくるグロくて少しエッチなわけのわからないアニメ」というあながち間違いでもないと思いますが大きな誤解が僕の中に固定されたわけです。

で、その後も何回かTV版の再放送を観る機会があって、記憶はあまりないけど全話観たはずなんですが、それでも最終話を見たあとの「なんだかなあ感」は拭えなかった。

中学生のときに読んだ漫画版のラストも同様でした。
あんま覚えてないけどシン・エヴァと同じような終わり方だったはず。
当時漫画版がついに完結とかで話題を呼んでいて、友達に全巻借りて読んだのですが、やっぱりすっきりしない。

結局のところ人類補完計画ってなんだ?
使徒ってなんだ?
NERVの目的ってなんだ?
セントラルドグマってなんだ?
そもそもエヴァンゲリオンってなんだ?

奇抜な設定や壮大なアニメーション、貞本さんの繊細な作画に引き込まれて最後まで観はするものの、結局こうした疑問が解消されることがなかったため、やっぱりエヴァっていわゆるオタク、いわゆるガチ勢のためのコンテンツなんだなと勝手に近寄りがたい印象を持ってしまっていました。

ですから金曜ロードショーとか、地上波で映画が再放送してても真剣に観ることはありませんでした。
観てもわからないだろうからと。

作品の外でハマってた

僕がエヴァにハマったのはごく最近のことです。

エヴァにハマったと言うより、エヴァの設定の難解さと、それを考察して仮のストーリーを組み立てていくパズル的な要素にハマったんです。

序だっけ?破だっけ?
地上波再放送をふと見たときに「あれ、エヴァおもしろいぞ?」と感じたんです。

たぶんそれまでは物語を咀嚼する能力が足りてなかったんだと思います。

使徒とは?NERVとは?エヴァとは?…
作中の謎を自分なりに解釈、考察して楽しむことができるようになったこと、シンジや綾波の心の成長だとかを汲み取れるようになったことが大きいでしょう。

個人的にかなりワクワクしたのは、エヴァに関する考察記事や動画です。

「使徒とは」みたいに検索するとわんさかヒットします。
ファンの方々がいろいろな角度から考察して、互いにいやそれは違うのでは云々と言い合う過程で考察がさらに深まっていく。
まるでエヴァというパン生地を熟成させる酵母菌の営みのようで、感動に近いものを覚えました。
なるほどここはこう解釈できるのかと、絡まった紐を少しづつ解いていくようでおもしろかったんですね。

ただそれでも残念なことに、エヴァという作品そのものにハマることはありませんでした。
序破Qを見返す機会はたくさんありましたが、実際に通して観たのはそれぞれ1,2回だと思います。

いくら考察が深まったところでそれは作品中の真実とは限らないわけで、特に『Q』の置いてけぼり感は何度観てもモヤモヤしてしまって苦手でした。

僕のエヴァに関する好奇心はあくまでファンたちによる考察の中にありました。
「作品の外で」ハマっていたと
いうことです。

シン・エヴァを観た感想

シン・エヴァについて感想を述べるというのはかなり難しいことだと思います。

ライティングスキル的にどうとか以前に、スケールが大きすぎるんです。
ストーリーのスケールのことではありません。

なんと表現したらいいのかわからないんですが、

25年前に庵野さんが始めた『エヴァンゲリオン』というコンテンツの終止符としてシン・エヴァを語るには、『エヴァンゲリオン』を核とする諸々の文化と、文化の構成員たるエヴァファンの感情がその輪郭を捉えられないほどに肥大化しすぎている。

はあ?おめ何言ってんだという感じですが見逃してください。
ちょっとかっこいいこと書けたんで斜体にしてみましたが自分でもよくわかってません。

ただつまり、「いやあシン・エヴァ観たけどここが良かったあそこが微妙だったどーたらこーたら」と御託を並べることがどうしてもおこがましく感じてしまうほどに、『エヴァンゲリオン』という作品はでっかい存在になってしまったということです。

これまでエヴァが獲得してきたファンたちによる、「この壮大で複雑な物語と待ち続けた俺達の気持ちにどう落とし前をつけてくれるんだ庵野ォ!」みたいな期待と不安と、それから怒りにも似たようなグツグツとした感情が、20年余りの歳月をかけて着実に大きくなって渦巻いて、庵野さん含む制作陣すらをも取り込んで、『エヴァンゲリオン』は出来上がっているはずです。

あくまで僕の考えですよ。

だから、なんにも書けないんです。

綾波が可愛かった!とか
シンジ君が相変わらずクズだった!とか
アスカやっぱかっけえ!とか

そういう局所的な感情はもちろんいくらでもあるんですが、シン・エヴァという一本の映画を通しての感想となると書けたものではないです。どうしても『エヴァンゲリオン』というとてつもなく大きなコンテンツの締めくくり、一部として語らざるを得なくなってしまうから。

ただそこを押して言うとすれば、二時間半が一瞬のようでした。

エンドロールが終わって、館内ライトが点灯して、そこではじめて自分がずっと息を溜めていたことに気がついて、はあ〜〜〜っと深い溜め息が出ました。

「ついに終わったか」と。
ひとつの歴史を見届けたような気持ちです。

他の方は一体どんな気持ちで見届けたんでしょうか。
感動でしょうか。それとも落胆でしょうか…

なんにせよ言い表すのは難しいと思います。
25年来のエヴァファンならなおさらでしょう。
観た方に聞いて回りたいです。

ひとり、クライマックスから終幕までこらえるようにして泣いている30代くらいの男性がいて、印象的でした。

はじめてエヴァを近しく感じた

※あらためてネタバレ注意!

 

「シン・エヴァの感想?う〜ん、なんも言えねぇ。」

じゃあちょっと中身が薄いんで感想っぽいものを言いますね。(北島さんdisではない)

 

シン・エヴァを観てはじめて『エヴァンゲリオン』を近しく感じた。

これに尽きると思います。

 

というのも、すでに論評されているように、『エヴァンゲリオン』はただのサブカルチャーではないんですよね。四半世紀に渡って世界中を魅了してきた超巨大コンテンツであるとともに、難解で独特の世界設定を含んだいわゆるオタクコンテンツでもあります。

先に述べたように僕がエヴァに近寄りがたい印象を抱いてしまったのは、この「超巨大」かつ「オタク」な性質が大きな要因だろうと思います。

街中にはエヴァに関連したグッズや広告が溢れていて、地上波では繰り返し映画やアニメの再放送が。
どうしたって目に入るから気になって観てみたけれど、いまいち理解できない。
他の大人たちが熱中しているものを自分は理解できないという疎外感が、余計にエヴァに対する苦手意識を助長してしまったのではと。

 

シン・エヴァも「エヴァってそういうものなんだな」と諦めの気持ちを持ちつつ観に行ったわけですが…

それがとんでもない誤解でした。

 

結末はこれ以上にないほど温かいものでした。

クライマックスにはしっかり「父と息子」という対立する構図がありましたし、それを収拾するように「母」「家族」が登場しました。

ゲンドウとユイがシンジを送り出すシーンは今思い返しても心に来ます。

陳腐な表現かもしれませんが、エヴァのラストを締めくくったのは紛れもなく「愛」だったと思います。

はじめて『エヴァンゲリオン』を近しく感じた瞬間でした。

正直もっと奇をてらったような終わりを期待していた節もありましたが、大満足です。
おそらく「なんてありきたりな」といった批判もあるでしょうし庵野監督もそれは予想されていたはずですが、それでも『エヴァンゲリオン』という世界の中心に「愛」を据えて長かった戦いにケリをつけてくれたことがただただ嬉しい。

結局、僕もシンジ君だった

エヴァの世界観は壮大で無慈悲で不思議で奇抜ですが、描かれている主人公の心の葛藤はそんな世界観の中では不釣り合いに平凡で小さくてリアルです。

観客はそんなシンジ君に自分を投影することではじめてエヴァの世界観にスッとアクセスできるわけです。

考えてみれば、僕がエヴァに近寄りがたいと感じていたのは、このシンジ君への自己投影が上手くいっていなかったからなのではと今さらながら思ったりもします。

はじめて観たTV版エヴァでは父親に認められたいシンジ君のシーンをすっ飛ばしていたわけですし、漫画版エヴァのシンジ君はどこか冷めた少年で、僕はただ貞本さんの描く世界が綺麗だからという理由で読んでました。

新劇場版でこそ父親に認められたいシンジ君がわかりやすく描かれているものの、御存知の通り『Q』のあの置いてけぼり感ですよ。

期待しながらもどうせ不完全燃焼で終わるだろうと、どこか心に膜を張って観に行ったシン・エヴァでしたが、それが大きな間違いであったことは先に述べたとおりです。

対峙するゲンドウとシンジはそっくりそのまま僕の父と僕自身でした。
LCLに溶けたユイはそっくりそのまま僕の母でした。

シン・エヴァにしてはじめて僕は『エヴァンゲリオン』にアクセスすることができたと感じました。

僕もちゃんとシンジ君だった。

まとめ

僕のこれまでのエヴァとの関わりと、シン・エヴァを観た感想のようなものを書いてみました。

書いてたらまた観たくなってきた。
また序からおさらいして観に行こうと思います。

 

おわり

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