鬼滅の刃で考えるネタバレの善悪

暮らし

流行ってますね、鬼滅の刃。

アニメをAmazon Prime Videoで視聴したのですが、主人公の境遇にはかなり感情移入させられました。特にアニメーションの映像美が印象に残っています。漫画は未読ですがいつか読みたい!物語の結末を知りたくなるようなアニメでした。

映画の興収記録も連日更新。『千と千尋』超えも近いということで、僕もいつか映画館に足を運ぼうと思っていました。

そう、ネタバレを食らったあの日まではね…   (遠い目

ネタバレの何がいけないのか

ネット記事でよく【ネタバレ注意】みたいな注意書きを見かけますよね。
漫画や映画などの作品について触れたサイトではタイトルに【ネタバレ注意】の文字を入れることがネット上でのマナーになっているようです。

これは言わずもがな作品の未鑑賞者に考慮した注意書きですが、その起源はといえば平成初期にネット上で浸透し始めたのだとか。(Wikipediaより)

ネットの普及により大量の情報が手に入る中で、楽しみにしていた漫画の最新刊や公開直後の映画について知ってしまった人がたくさんいたんでしょうね。今で言うネタバレ被害者の増加に伴ってこうした新たなマナーが広まったのではと想像できます。

こうしたネタバレに関する文化は、今やインターネットの域を超えて友人との日常会話にまで浸透しています。例えばお互いに好きな漫画の話をするとき、事前に相手がどこまで読み進めたかを確認してネタバレを防止することはよくあります。数人でおしゃべりしていたら内ひとりがうっかり漫画の核心に迫る情報を口にしてしまい、その場が気まずい雰囲気になる…といった場面にも何度か出くわしたことがあります。

また「それって過剰反応じゃない?」と思うのがほんの少し作品内容に触れただけで嫌な顔をしたり、話を遮るひと。いわゆるネタバレ警察です。僕の周りにはいませんが一定数いるようです。こうした方達は良く言えば作品への愛が深いのでしょう。悪く言えば作品をおすすめしたり論評したりする場をも否定してしまう困ったひとたちです。

漫画にせよ映画にせよ作品の楽しみ方は人それぞれですが、多くの人にとって「前情報を持たないからこそ真にその作品を楽しむことができる」というのが作品鑑賞における共通認識となっているようです。

えっ!?コナン=工藤新一なの!?

若者の間で「コナンって工藤新一なの!?」と驚いて見せるジョークがあります。
「エースって死ぬんですか!?」みたいな別バージョンもいくつかあるようです。
要は国民的アニメなどの誰もが知っている内容を誰かが口にしたとき、それをあたかも初めて知ったようなふりをしてなじっているのです。

ただ単にその場のノリだとか悪ふざけで言うことがほとんどかと思いますが、こうしたジョークが言われ始めたきっかけを考えるとなかなかおもしろいと思います。きっかけとはつまり過剰なネタバレ防止活動に対する嫌悪です。

もともとネタバレするだのしないだのといった議論はアニメや漫画などのサブカルで生まれたものでしょう。主体は若者です。そうした若者同士の空間で生まれたいわゆるネタバレ警察を、同じ若者が皮肉を込めて批判しているという構図がこのジョークから滲んでわかります。

「ネタバレ許すまじ」というひともいれば、過去の僕がそうであったようにそれを冷ややかな目で見るひともいるということの証左です。ネタバレの善悪なんて結局人によるよねっていう話です。

ネタバレされたって平気だと思ってた

皆さんはドラゴンボールのアニメを見たことはありますか?
’86年に放送が開始してから現在に至るまで脈々と続く長寿コンテンツですが、僕も小学生の頃は夕方からの再放送を夢中になって観ていました。

筆者(ぽっけ)
筆者(ぽっけ)

TVアニメはシリーズ化されていて、公開順に 無印→ Z→ GT→ 改→ 超 があるそうです。
僕はたしか無印からZの途中まで観てました。

唐突に何の話をし出すのかと思われたでしょうが、ドラゴンボールのアニメって次回予告でのネタバレがすごいんですよ。
例えば:

『レッド総帥死す!』→ ラスボスが次回の放送で倒されることをバラされる。
『クリリンの死』→ 主人公の相棒であるクリリンの死を唐突にバラされる。
『さようなら孫悟空』→ 強敵との戦いでピンチに追い込まれた孫悟空、主人公らしく巻き返すのかと思いきや次回の放送で死ぬことをバラされる。

他にも色々とあるのですが登場人物が戦いに敗れたり死ぬときは基本的に次回予告で暴露されますから、作中におけるドキドキやハラハラはこの予告を見た人に限って言えば皆無に近いわけです。
当時の制作スタッフはどういうつもりでこうした予告をつけたのでしょうか。
また子どもたちはどんな気持ちでこの予告を見たのでしょうか。

僕はそういうもんだと思って観ていました。
もちろんはじめは理不尽な次回予告に違和感を覚えました。『さようなら孫悟空』の回はたしか悟空が初めて死亡する回で、子供心にショックでした。「悟空死ぬの!?」って。でも当時はネタバレなんて概念も知らないわけですからこうした予告に対して怒るようなこともありません。
”悟空が死ぬ”という予定調和を見届ける気持ちで観てました。

おそらくこうした経験がもとでネタバレに対して耐性がついたというか、鈍感になったのだと思います。世間のネタバレに対する反応が過剰に見えて仕方がない時期がありました。

ネタバレに激怒するツイートやネタバレをしないように慎重に話す友人を見て「そんな大げさな…」なんて思ってました。仮に自分がネタバレされたとしてもどうってことないと。

ネタバレを食らった

以下ネタバレ注意です。
おそらく鬼滅の刃の核心に触れるであろう情報を含みます。

 

 

先日、帰路の電車に乗っていたときのことです。

車内は少し混んでいたのですが、近くに小学生くらいのお子さんを連れた若い夫婦がいらっしゃって鬼滅の刃について話していたんですね。

聞いているとどうやらご夫人が鬼滅の刃を全巻読み終えている様子でした。興味はあんまりないけど断片的な知識だけはある、そんな様子のご主人が質問する形で「水の呼吸っていうのは云々」、「ゼンイツは猪突猛進しないよ云々」、「鬼滅の刃は主人公の成長の描写が足りないよね云々」と話していました。

僕は過去にアニメを視聴していますから、「ふむふむそういえばそんな設定だったな」と思い出しながら聞いていたんです。また当時は映画の売上がすごいらしいという噂も聞いていたのでいつか映画館に足を運ぶつもりでいました。どうせなら駅を降りたその足で映画館へ行こうかとさえ考えてました。もちろんご夫婦の会話がきっかけです。

で、思いがけず今日の楽しみが一つ増えたぞ、なんて思いながらスマホで上映時間とか調べてたらご主人が言ったんですよ。「いや〜でも炭治郎が鬼になるのはびっくりしたなあ」って。

………………………………………………………!!?!?!?(声にもならない。

これがネタバレテロってやつですか

なまじアニメで物語の大筋を知っていただけに衝撃が大きかった。

「えっ?炭治郎が鬼になる…?……え?」

漫画未読のため予想ですが炭治郎が鬼化するってもう終盤中の終盤の情報ですよねたぶん。
しかも本来なら鳥肌立たせながら読みすすめるところですよね。
漫画の展開の最も熱い部分ですよね。
友人と熱く感想を語り合えるところですよね。
それまでの炭治郎の辛苦を思い出しながら涙するところですよね。
…違いますか?
まあ、違っていたとしてもいいんです。
もう僕には関係のないことですから…

ーー彼にはもはや映画を見に行く気力はなかった。唐突なネタバレは映画鑑賞という生活の彩りをひとつ彼から奪い去っていった。予期せず訪れた悲哀の中で彼が考えていたのはいかに最短経路で帰宅するか、その一点であった。映画館のWebページを開いていた彼のスマホは、今や黒闇である。〜〜 序章:The Birth of ネタバレアンチ 〜〜

あまりに唐突でした。こんなのってないよ。Tragedy!!!!!僕が何をしたというのか。何が祟ったのか。この怒りと悲しみをどこに向ければいいのか……
いや、違いますね。これは事故だ。偶然の事故だ。日常に潜む不幸に僕はかち合ってしまった。それだけのことです。誰を憎むとかそういう話じゃない。落ち着こう。クールにいこう。すぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜はぁ。
……だがネタバレを許すな。(邪心の萌芽

やっぱネタバレってよくないよ…

ネタバレっていいのかな?悪いのかな?僕はこないだこんなネタバレに遭ったよ!アイタタタッ(><)でもネタバレをする側はわざとじゃなかったわけだし、しょうがないよね!みんなはどう思うかな?おわりっ(^^)/

当初こんなマシュマロみたいなふわ記事になりそうでしたがそれでは腹に据えかねるというのが僕の本心であることに書いてて気付かされました。

筆者
筆者

やっぱネタバレってよくないよ…

というわけでこちらのグラフを御覧ください。

 

作品鑑賞時の感情曲線

作品鑑賞時の感情曲線です。
ここでは映画『千と千尋の神隠し』の鑑賞時を思い浮かべてみましょう。

引っ越しの荷物を載せて車を走らせる主人公の千尋とその両親。田舎町の自然豊かな風景が広がります。
そこへ現れるどこか怪しげな雰囲気のトンネル。両親は向こうへ抜けられるからと言って暗がりの中へ進んでいきます。千尋ははじめ怖がりますが、勇気を振り絞って歩みを進めた先にはテーマパーク跡地のような不思議な空間がありました。
ここで急ぐ様子で登場するハク。親とはぐれた千尋に「すぐに元の処へ戻れ」と急かします。そして豚の姿に帰られてしまった両親や怪しげに賑わい出す廃墟だった建物、闊歩する魑魅魍魎の描写によって観客はなんだなんだと一気に引き込まれていきます。

その後親切なおねえさんとか蜘蛛おじさんとか顔面蒼白おばけとか頭でっかち魔法使いおばさんとかカエルとかだるまとか赤ちゃんとか色々登場します。そのたびに物語が大きく動いて観客はドキドキハラハラさせられます。続く展開を期待し、予想し、裏切られ、衝撃を受け、安堵し、…を繰り返します。で、てんやわんやあって最後には千尋とハクが元の世界へ無事戻り、エンドロールを観ながら「はあ〜、おもしろかった」と緊張から緩和状態へと落ち着きます。まさに上のグラフが示す感情曲線をたどるわけです。

観客はこの感情のジェットコースターともいうべき起伏を体験して初めて満足を覚えます。満足感の大小はこのジェットコースターの起伏の大小に対応します。そしてその起伏を形作る鍵となるのが作品の予備知識の有無です。当然、予め作品の内容を知らなければ起伏は大きくなり、大きな満足感を得ることが出来ます。富士急のええじゃないかレベルです。知っていると満足できません。デパート屋上のコーヒーカップレベルです。

ネタバレとはこの感情の起伏を隅から隅まで均してしまうロードローラーのようなものです。
鑑賞者の愉悦の時を根底から否定する非人道的な行いです。
読みかけの推理小説に犯人の名前を記したメモを挟んでおくようなものです。
たった一言のことばがもつ破壊力を我々はもっと自覚する必要があります。特に電車の中ではな!!!
悪気がないからいいじゃんとかしょうがないじゃんとか、そういうんじゃない。なんかもっとこう、根本的にこう、マナー的によくないでしょうが。

ネタバレを許すな。(再掲

ネタバレは感情の起伏を均す

千尋がおにぎりを食べるシーンを見ても心が動かない

まとめ

ネタバレ容認派だった僕がいかにしてネタバレアンチになったかがおわかりになったかと思います。

これで僕もネタバレ警察の一員です。
ネタバレ星人撲滅活動の第一歩としてこの記事を書きました。

鬼滅の刃はそれでもいつか読みたいです。それくらいアニメがおもしろかった。
映画は地上波で観ることにします。

おわり

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