お久しぶりですー、ぽっけです。
もう5月だというのに何を言うとるかですが、大学、卒業してました。
現在は大学院生として新たな環境にあたふたしつつも頑張っています。
今回はこれまでの大学生活を振り返ってみます。
またザコシショウ並みに誇張したタイトルにしてみましたが、嘘じゃないですよ。
留年の危機とまさに背中合わせな4年間でした。
大学って講義の内容も試験も難しいため留年する学生が一定数いるものですが、留年確定あーもうだめだ、なんて局面でも手を尽くせばなんとかなるものです。
今まさに留年の危機に直面している…!そんな方に参考にしてもらえればと思います。
まるで勉強する気がなかった
まず大学ってなんのために通うのかって話なんですが、まずひとつ言えるのは専門知識を養うことですよね。それからキャンパスで出会う学生たちとの交流や部活動、アルバイトだとかを通してさまざまな経験をすることも立派な目的のひとつです。
日々の勉学に加えてこうした活動も全力で打ち込める人間が、真に充実した大学生活を送れるし、真に社会で活躍できる人間になれるんだヨ…
こんなことを世のオトナたちは言うわけで、テカテカの新入生たちはそんな言葉を信じて励むわけです。
でも先に言った通り大学の学習内容ってほんと難しいのです。
どんなに気高い目標を掲げて勉学に励んでいた学生であっても、その半数が途中で匙を投げて雀荘に籠りはじめます。リンシャンカイホー!!
僕も入学当初こそ頑張っていたと思いますが、踏ん張りが効いたのは初めの数ヶ月だけで、それから後はもう落ちていくばかりでした。
まず講義が難しい。
試験が難しい。
それからバイトやらサークルやらが楽しすぎる。
この3重苦に耐えきれなかった僕はスタートダッシュで見事にこけました。
半期の成績発表で必修単位を半分落としました。
そして「大学受験で死ぬほど勉強したにも関わらず、さらに上をいく勉強量を求める大学当局の要求は道徳的に間違っている気がしないでもない」という謎の確信を持つようになりました。
いかにして授業をさぼりつつ単位を取るか、「大学卒」の称号さえ手に入ればそれでいいーー。
そんな向上心のかけらもない大学一年生がかくして誕生したわけです。
卒業、学位の取得という最大目標に向かって全力で楽しようと足掻いてきた4年間はこうして始まりました。
入学1年目で落単ぐせがつく
「勉強せずに大学を卒業する」って無謀に聞こえますが、不可能ではないんですよね。
「選択講義は出席点だけで単位が取れるものを選ぶ」とか、「優秀な友達を作ってノートを見せてもらう」とかやりようは結構あります。
要領のいい人間にとっては大学の単位なんてほんの少しの努力で取れるものなのです。
実際そんな奴が僕の周りにもいました。
ただこれは裏を返せば、要領の良くない人間にとっては大学の単位取得は一定の努力を要するもので、「あいつは毎日雀荘にこもっているくせに単位は取れている…なら俺にも取れるはずだ!」と高をくくると痛い目に遭います。
だいたい、ろくに勉強してなさそうな人ほど見えないところで努力しているものです。
その辺の実情も知らずに、自分の能力を過信して必修の試験前日に飲んだくれてるようなすっとこどっこいが単位を落としていくわけですが、タチが悪いのは「落単ぐせ」がついたときです。
大学の講義って高校を卒業したばかりのヤングたちにとっては難しいですから、まあ普通に勉強してたって試験で落ちる時は落ちます。
ただそこできちんと軌道修正できるのが真っ当な大学生です。失敗しても取り返す努力を彼らはそこで学び、さらに強くなっていくのです。
一方で、ろくに勉強もせずに単位を落とし、軌道修正をする努力すらせず、成績発表の凄惨な結果をみて一応動揺してはみるもののその足で雀荘に直行するのがすっとこどっこい大学生です。
そんなんじゃあ落単に次ぐ落単で、本来であればここで自分のヤバさに気がつくわけですが、そこでさえ「次はどうにかなるだろう」という得意の楽観主義が発揮されるのがすっとこどっこいのすっとこどっこいたる所以です。
ここまで僕の話をしています。
留年の危機part1〜単位がひとつ足りない!〜
大学生って最初の一年目はちゃんと勉強して単位を落とさないようにするのがふつうですが、僕の場合、ここまで述べてきた通りふつうじゃなかったので、最初の成績発表の時点で必修を半分落としてました。
これがいかに深刻な事態であったかを、当時なんで誰も教えてくれなかったんだアッ!!!って嘆いてみても無意味なんですが、でもほんとにタイムマシンがあったら教えてやりたいですよ、おかげで大変でした。
必修単位を落とすということは、後の試験でそれだけの単位を取り返さねばならず、単位を落とせば落とすほどそのしわ寄せが未来の自分にいくわけですが、バイトとサークルにのめり込んでいた当時の僕はそんなこと気にもかけませんでした。
それが一年目の夏で、年明けの試験はどうなったかという話ですが、やはりここでもろくに勉強せずに臨み、さらに必修を3つほど落としました。
で、そんなに落として2年生に進級できるの?って話ですが、流石に無理でした。
進級のためにはどれそれの講義の単位が必要ですよって言うのが各学科で決まってまして、必修を落としていたとしてもそれらの指定された科目を取れていさえすれば進級できるんですね。
僕の場合、あとこの科目さえ取れていれば…!という単位がひとつ分足りませんでした。
ただ、タイトルにもあるとおりこの後なんとかして留年を回避したわけなんですが、どうしたかというと教授に直談判ですよ。
今考えるとよくやったなって思います。アポイントも取らずに教授室へ訪ねていってもう一度試験を受けさせてくださいと頼み込みました。
教授からなんでちゃんと勉強しなかったの?って聞かれまして、たしかバイトが楽しすぎて…とかサークル活動に夢中になってしまって…とかしょうもないことを馬鹿正直に答えたんですね。
そしたら「わかったわかった」と言って再試験を認めてもらえまして、そこでなんとか単位を取得できたという流れです。
友人からは直談判という名の脅しでもしたのかと疑われましたが、とんでもない。いかに自分が勉強してこなかったかを包み隠さず申し上げただけです。
当時、勉強はしなかったものの流石に留年は親に申しわけがたたないという気持ちもあって必死だったので、その必死さが伝わったのかもしれません。
まあとにかく、その教授のご厚意無くして今こうして大学院に行くこともなかったわけですから、本当に感謝してます。
教授さんきゅう!!
留年の危機part2〜その評価、異議あり!〜
1年目からこんな感じでやらかしてたので流石に2年目からは反省しまして、まともに勉強するようになった……
わけがないんですね。
「あれ、勉強しなくたってなんとかなるじゃん…」ということをここで学んでしまったことで拍車をかけて勉強しなくなっていきました。
サークル活動にものめり込んでいき、行きつけの店に入り浸っては酒を浴びる日々で、二日酔いで講義はさぼるくせに夕刻はサークルへ赴いて仲間と酒を酌み交わし…みたいなことを延々と繰り返すとんでもない奴でした。
ただ2年目にもなると単位の取り方というものが当時の僕にもなんとなくわかってきていまして、1年目で取りこぼした単位をここでいくつか取り返すことができたのですが、これがまた油断のきっかけにもなりました。
2年目の半期で単位をいくつか取り返した僕は、「なんだやればできるじゃないか」とか言って調子乗ってたんですね。
結果、2年生ラストの試験は散々な結果で、ある科目は試験前日に飲んだくれて受験せずに単位を落とし、ある科目は試験日を間違えて未受験で単位を落とし、その他必修を含む多くの科目ではシンプルに勉強不足で単位を落としました。
成績はほぼD評価。進級のために必要な教養科目と必修科目の合計取得数がひとつずつ足りませんでした。
この時ばっかりは流石にダメかと進級を諦めまして、留年をどう親に告白したらいいものか真剣に考えてました。
しかしまたここでも進級を果たすのですが、この時使った手は成績再調査でした。
多分どこの大学にもあると思いますが、一度通知された成績でも、その評価に納得できない場合は成績の再調査を頼むことができます。
試験もちゃんと解いて講義にもちゃんと出ていたのにB評価はおかしいじゃないか!みたいな。
異議あり!できるわけです。
ただ僕の場合、試験はろくに解けていなかった上に講義にも出ていなかったので成績再調査なんて申請してもはねられるのがオチだと自分でも思ったんですが、当時やはり必死だったのでダメもとで申請してみたんです。
そしたらいくつかの科目で評価の見直しがありまして、進級の条件はそこでクリアできました。
これには僕自身も拍子抜けでした。
どうなってんだこの大学はと。
いやこれが日本の大学かと。
流石に自分のような人間は1年くらい留年して反省するべきではと思いましたが、しませんでした。
留年の危機part3〜オンラインで救われた〜
さて、そんなこんなで突入した3年生ですが、その年に新型コロナが流行し始めました。
3月末ごろになって大学から当面のオンライン講義実施の連絡が入り、当然サークル活動も全面禁止、バイトについても個人的な判断でしばらく休みをとっていましたから、友達にも会えず気分が落ち込んだりしたものでした。
しかし今思えばこのパンデミックは、こう言っては方々に失礼というか不謹慎かもしれませんが、僕としてはある種の幸運でした。
というのも当時、取らねばならない必修の単位数が確か30いくつあったんですね。
3年生の時点で、しかも必修だけでこの数字はかなり異常でして、友人らからも僕の留年は確実視されていました。
3年生から始まる実験の必修講義は勉強量的にもスケジュール的にも大変で、さらに後期からは就活も始まるため、それらをこなしながら30以上の単位を取り返すというのは神業に等しいことでした。
流石に今年はどうしようもないなと。
しかし、そんな矢先のパンデミックでした。
講義のほぼすべてがオンライン講義になったことで、多くの講義で単位取得のための対面試験に代わってレポート課題が採用されました。
試験は必死こいて勉強しないといけないですが、レポートであれば書きゃあいいですから、僕でも容易に単位を取得することができたというわけです。
留年の危機part4〜履修計画に見落としが!〜
書いてて思い出したんですがもう一個ありました、留年の危機。
大学で取れる単位数って上限があるんですよ。
1年間に50単位まで!みたいな。
で、3年生までに取らなきゃいけない英語の単位がありまして、本来ならみんな1年生の時点で取ってるものなんですが、例の如く僕はその単位も落としてますから、3年生の4月に履修登録しなきゃいけなかったんです。
ただ過去に落とした大量の単位がありますから、それらで登録できる単位の上限に達してしまって、その英語の講義が取れなかったんですね。
だからほんとはその時点で留年は確定していたんですが、当時の僕は何かの勘違いで4年生で取ればいいかというつもりでいたんです。
そのまま1年間、オンライン講義で他の必修は頑張って取り切って、さあこれから4年生、研究室配属だというところで主任教授から連絡がきまして、「あなた単位不足だから研究室入れませんよ」と。
いやいや必修は全部取りましたけどオ!?!?!?
的なことを電話口で泣きながら訴えたのですが、ここではじめて英語の単位を取らねばならなかったことに気がつきました。
まさかたった1単位で留年することになるとはと、この時ばかりは自分のいい加減さを恨みましたが、とりあえず学生課に駆け込みました。
ただこの時無策に「どうにかしてください」と頼みに行ったわけではありませんでした。
TOEICスコアを利用した単位取得についての記載を履修要項に見つけまして、これでどうにかならないかと。幸い単位取得に足りるスコアは手元にあったので、藁にもすがる思いでした。
その後の展開は長くなるのではしょりますが、こんな感じです。
学生課へ駆け込む
→ 弁舌:たった1単位で留年だなんてあんまりだア…!
→ 担当者の同情を誘う
→ 主任教授からOKもらえればいいよと言質を取る
→ 主任教授室へIN!
→ 研究へかける熱い思いを語る
→ 教授:オッケー!
というわけで、特例中の特例…だったかはわかりませんが、特別に1単位はTOEICスコアで間に合わせる形で4年生に進級できました。
まとめ
以上、僕の大学生活4年間はこんな感じでした。
振り返ってて思ったのは、ほんと勉強しなかったなあということと、ほんと適当だったなあということと、そんなんでよく乗り切ったなあということですかね。
運が良かったこともありますが、周囲の人にもたくさんお世話になりました。
ストレートで卒業できたのはもはや奇跡だったと思いますが、ひとつよかったのは要所要所で諦めずにとりあえず動いたことだったかもしれません。
単位に関わる大学のシステムって一見すると厳格なルールで動いててどうにもならないような気がしますが、学生課なり大学教授なり、然るべきところへアクションを起こせば大抵なんとかなるーーということを僕はこの4年間で知りました。
留年しそうでどうしよう〜みたいな方は、諦める前にまず周りに頼ってみるとかしてみましょう。
教授室にアポなしで凸するのは非常識なのでやめましょう。
それからちゃんと勉強してください。
おわり
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