先日大学からメールが来まして、大学でワクチン接種できるけどどうする?打ちたいっていう人が多ければその方向で進めます〜っていう内容でした。
たぶん副作用のリスクが云々っていう報道がたくさんあった事もあってこういう文面なのではと思いますが、僕はぜひ打たせてほしいと答えました。
ワクチン接種に伴う諸々のリスクについては僕もはじめ不安ではありましたが、現在は打つべきだと判断しています。特に大学生は。
もちろん打つ・打たないは個人の自由なんですが、あと個人的に注射が怖いので打たないで済むなら打ちたくないのが本音だったりするんですが、それでも僕が打ちたいと思った理由を今回はまとめてみます。
とにかく家族
とにかく家庭内感染だけは防ぎたい。
これが一番の理由です。
僕は実家ぐらしですが、大学があるため都心と自宅を往復する毎日です。
若年者は感染しても自覚症状が出にくいと言われています。
気が付かないうちにウイルスを家庭に持ち込み、高齢、そして持病持ちの家族が感染・発症することだけはなんとしても回避しなければーー
そんな思いでこれまでの1年間と半年、過ごしてきました。
帰宅したらいち早くうがい手洗い、お風呂へ入り、食事の際は会話を極力控える。
大学など必要なこと以外はできるだけ外出の機会をつくらない。
友人との飲み会なんてもってのほか。
他にもこうした感染対策を大げさなくらい続けてきたのですが、やはり気持ち的に疲れます。
慣れればどうってことないだろうと思っていましたが、正直きついです。
一回のワクチン接種で家庭内感染のリスクが半減との報告もありますから、いのちを守りそして元の生活に少しでも戻せるように接種は急ぎたいなという思いです。
副作用について
まさに恐怖を煽るような、と言っていいと思います。
高齢者や医療関係者へのワクチン接種開始に伴いメディアがこぞって副作用について喧伝してきたせいかと思いますが、副作用怖いから打ちたくない勢が僕の周りにも一定数います。
確かにワクチン接種によって重篤な健康被害につながる副作用を起こす確率はゼロではないです。
僕もはじめは不安を覚えました。
だがちょっとまってほしいっっ!
ここで肝心なのはワクチン接種によるマイナスとプラスをはかりにかけることであって、副作用という避けようのないマイナス面にばかり気を取られていては感染の収束という大目標が遠ざかるばかりです。
ワクチン接種によって集団免疫ができれば、病床のひっ迫も緊急事態宣言のような行動制限はいずれ解消されます。
また長い間フル稼働で頑張っている医療関係者たちの負担が減ります。
僕は自分のためというよりは、家族と社会のためにーーという気持ちでワクチンを打つつもりでいます。
日本は恵まれている
情報としてはたしか2ヶ月くらい前なので古いですが、新興国と先進国との比較で、ワクチンの接種率は100〜倍も異なるとの試算がWHOでありました。
日本では100人の接種が完了している段階で、低所得国ではひとりしか接種できていないということです。
国家間での医療格差は度々取り上げられますが、これはワクチンの確保に関しても同じようです。
ワクチンの供給がないためにいつまで経っても医療体制が崩壊寸前、依然として厳しい行動制限の中にある人がたくさんいる中で、我々は誰でも世界に先んじてワクチン接種ができる環境にいるんです。
…ということを考えれば少しは打とうという気になるかと思うんですがどうですか。
僕はなりました。
いやそんなことは知ったこっちゃないと言われればそれまでではありますが。
大学生は行動範囲が広い
若年者は感染したところで重症化しないからワクチン要らないよね論。
これををわりと大真面目に解説してる方がいたりして、僕もそれで見解が揺らいだこともあったのですが、よく考えてみればそれってちょっとおかしくないですか?
例えば僕が感染したとします。
かつ自覚症状がなかったとします。
大学がありますから電車を乗り継いで、郊外と都心を往復する毎日です。
僕が媒体となってかなりの広範囲にウイルスを伝搬させてしまっている可能性が多分にありますよね。
若いから重症化しないし大丈夫!じゃないんです。
周りに移さないようにしなきゃなんですよね。
要はワクチンは自分のために打つものではないと僕は理解してます。
特に行動範囲の広い大学生ですよ。
自宅から大学への移動だけでも距離がありますし、陽の者なんかはコロナ禍にあってもつるんでスタバでぺっちゃくったりします(実際の目撃情報と偏見に基づいて話してます)からそれだけ感染と伝搬のリスクが大きいわけです。
うろうろしないでくれ〜まだ我慢してくれ〜って言ったところで彼らは聞きませんしこれまでたくさん我慢してきましたし、そういった活発な大学生の行動をコントロールすることは難しい…というか無理でしょう。
じゃあどうするかを考えた時、彼らが免疫を持っていれば感染も伝搬も抑えられます。
今回の職域接種もそういった背景があると考えていますがどうなんでしょうか。
多分そうですよね。
打たないという選択を責めてはならない
一時期はワクチンの副作用を大きく取り上げていたメディアですが、現在ではその有効性と安全性が確かめられている事もあって、副作用については恐れすぎないことが肝心だーーという表現にとどめつつも文脈的には是非打とう!って言ってる報道がほとんどです。
そのせいもあってか、ワクチンを打たないという選択がイコール社会へ協力する姿勢の欠如だ、けしからんーーみたいな見方があると感じるのですが僕の気のせいでしょうか。
本音を言ってしまえば、パンデミックという社会全体の危機において個人主義が抑制されるのは仕方のないことだ、つまり、みんながワクチンを打つことでそれだけ早く収束に向かうのだから、ワクチン怖いみたいな個人の判断は無視されてもいいよね、強制的に打たせていいよねーーっていう意見には一理あるなと思ってしまいます。
ワクチンを打たない人が増えれば増えるほど、新型コロナの収束が遅れ社会の損失が拡大する、つまり一部の人間のわがまま(という表現は適切ではないとは思いますが)によって全体が損をするからです。
しかし、日本では現状そうした強制的な動きはないですし、これからもそんなことにはならないでしょう。そうなってほしくありません。
個人の自由意志と全体の利益、どちらをとるべきかというのはこの場合誰にも判断できないことですが、日本は個人の意志を尊重しつつ全体の利益を損なわないように頑張ろう!っていうスタンスなんですよね。
だから何が言いたいかというと、ワクチンを打たないという選択はワクチンを打つという選択と同等に当然のことだよねっていうことです。
大学でのワクチン接種の案内が発表されてからというものの、同級と話しているとなんとな〜く「ワクチンを打たない」と言うことがタブーみたいな、そんな空気を感じることがあるので。
まとめ
というわけで、大学でのワクチン接種ができるとの案内が来たので打つつもりでいます。その理由と、とりわけ大学生が打ったほうがいいと考える理由、でした。
また大事なことなんで繰り返しますが、打つ打たないは個人の自由なんですよね。言うまでもないことです。
ただそれでも、イスラエルのような先行モデルから明らかなように、ワクチン接種が拡がるにつれ「出口」は近づいてきます。
僕は社会と、そして家族のために摂取してきます!
そういうお話でした。
おわり
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